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浄土真宗教学研究所、講座 蓮如 第六巻、平凡社、東京、1998年 (Institute for Jodo Shinshu Studies, Lectures on Rennyo, Volume Six, Heibonsha, Tokyo, 1998) 高島 幸次、「戦国期の近江と本願寺教団」(Takashima Kōji, “Ōmi in the Sengoku Era and the Honganji Sect”) pp.379-394

 

浄土真宗教学研究所、講座 蓮如 第六巻、平凡社、東京、1998年 (Institute for Jodo Shinshu Studies, Lectures on Rennyo, Volume Six, Heibonsha, Tokyo, 1998) 高島 幸次(こうじ)、「戦国期の近江と本願寺教団」(Takashima Kōji, “Ōmi in the Sengoku Era and the Honganji Sect”) pp.379-394

Economic strength of temples: 応仁・文明の乱以降の近江には、地方寺社が①寺領の支配、②加地子得分権、③山野河海の用益権、④借金・借米および高利貸活動、⑤新開・開発などの経済活動の検討を通じて、地域社会に大きな影響力を持つことを論証された。「地方寺社」「村堂・村社」の地域経済への影響の大きさを念頭において考えるべきである。一五世紀中頃から、百姓の土地所有権が確立され、剰余生産(加地子)が増大する。その剰余生産の配分をめぐって、百姓は自治的な惣を形成し、土豪・地侍層は小領主に成長する。結果、百姓と土豪・地侍層の階段的関係を内包した地域社会が形成され、これに伴って「政治・法・身分秩序の新たな編成」が行われた。

寺社は地域に根ざした存在へと変質し、「地方寺社」として成立するというのである。この「地方寺社」の規定について、「その経済力は土豪・地侍層に比べ圧倒的に大きく、総体として地域社会に君臨する「領主」である。Thus it made sense to align themselves with the largest economic power in the local vicinity, one that demanded no tithes。

当該期の地域社会においては、未知数の統一政権による新秩序編成などは期待されるはずもなく、現実には、村堂・村社の地域祭祝であっても、惣村秩序の要となることを期待され、「地方寺社」なら、より一層、広い地域社会の新秩序の中心となるべき期待が集まり、その結果、「地方寺院」降盛の時期を迎えたのである。「惣道場」の建立も、蓮如の布教に応えるものであるとともに、新たな地域秩序編成の時代的要請に応えることでもあったとの視点が重要である。(390-391)

(For specific examples on the growth of temples and shrines in Omi through affiliation with Honganji, see 宮島敬一「戦国期地方寺社と地域社会」(戦国期社会の形成と展開―浅井・六角氏と地域社会)吉川弘文館、一九九六年)

© Greg Pampling. This page was modified in December 2011